伝記
ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない
ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない佐々木 常夫
サラリーマンでここまで頑張る男性はなかなかいないでしょう
同期トップで取締役になれるかどうかは別として、女性で同じ環境で頑張っている人は沢山いると思います。しかし、男性ではあまり見かけたことはありません。制約の多いサラリーマンで頑張り続けられたのは、著者の知力体力精神力が優れていたからでしょう。”?だから仕方ない”と思ってしまう男性陣には、自分の頑張り次第でこういう可能性も開けるのだと知るためにも、一読をお勧めします。また同じ環境の女性も著者のからっとした達成感を感じ、”自分は母だから、娘だから、女性だから諦めなくてはいけないのだ”と思わず、チャレンジする元気がでるのではないかと思います。
また、小さい頃から食事の支度をして、病気がちな母、障害のある兄弟、サラリーマンの父を支えるお嬢さんの健気さに思いを馳せました。私も著者と同じような過程に育ち、大学受験の時に高校に通いながら、障害の弟の世話と家事に毎日6時間近くかかり絶望しそうになりました。その時に救ってくれたのは、柳田邦男さんの「犠牲」で、ご自身の家庭の問題を知り、とても勇気付けられました。きっとこの本の読者にも救われる人がいることを思うと、自分の体験を語ることは価値あることだと思います。
試練とは魂の成長の為に与えられるものだとはいうけれど
著者は東レに入社後、同期トップで取締役になり、その後東レ経営研究所の社長。サラリーマン人生を歩んだ人。
奥さんは肝臓を患い入院13回、それが原因でか鬱病にもなり自殺未遂も数度、長男は自閉症。気ままな次男、戦友と呼べる長女と共に家庭を守り、仕事もこなす。
僕が同じ立場になったら同じようにできるだろうか?きっと仕事は手に着かなくなるだろう。そしてそんな自分を、家族がこんなだから仕方ないんだ、と甘やかすことだろう。
この佐々木さんはすごい。仕事は徹底的に効率化して6時までには全て終えるよう、自分の仕事も部下の仕事もデザインする。そして家事をこなし、奥さんを見舞い、長男の相手をする。最近読んだいろいろな本で目にする、幸せをどこか遠くに求めるのでなくて、その日その時にやるべきことを精一杯やる中で出会う小さな幸せ。そういう、頭では理解できるけどもなかなか実行が難しそうなことを佐々木さんは黙々とこなす。
神様はその人が乗り越えられる試練を与えて魂の成長を促すのだという。佐々木さんの試練の乗り越えはそういうことなのだろうか?
仕事と家族と心の病気
「大なり小なり家族は何らかの障害(問題)をかかえている。」、「自分にとっては小さな問題でも、その人にとっては耐えられないほどの大きな問題な事がある。」等々、本書には、現代人が抱えるストレスの問題、仕事と家庭の両立の問題(両立は無理かもしれないが・・・?)、子供と親との関係の問題など関心の深い事項が本人の体験を通じて赤裸々に描かれています。
近年、メンタルヘルスの問題がクローズアップされ会社での取り組みも活発になっていますが、鬱病に関する偏見があるのか相談員を積極的に活用しきれていない状況にあります。プライバシーが重視され、家庭の問題を他人に相談しづらい、また、部下に対しても聞きづらい風潮が有る中、本書は、悩みを持っている社員(家族を含めて)が心を開くきっかけに成るのではと思っています。
早速購入し、課内で回覧することにしました。夫婦で読んでくれればと思います。
ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない
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マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝
マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝バラク・オバマ
カリスマ オバマ
バラク・オバマの映像や演説から「何か」を感じた人に薦める。
543ページというぶ厚い本だが、あなたが感じた「何か」を探りたければ、きっとどんどん読みすすめることができる。
読み終わったあなたはきっとオバマに会いたいと、思うだろう。
「勇気について、悲しみについて、強さともろさについて…」直接話しを聞きたくなるにちがいない。
ケネディーが生きた時代を、リアルタイムで経験することはできなかったが、きっと彼に備わっている何かと同じものが、バラクにはあるだろうと思うのだが、どうなんだろうか?
「アイデンティティ探し」の長い道のり
最近話題のアメリカの上院議員です。2008年の合衆国大統領の民主党候補の座をクリントン前大統領の夫人、ヒラリーさんと争っています この本はその著者の「自伝」とあります。
全3部で成り立ちます。1部と2部自分の父母や祖父母、そして自分の生まれ育ちを語り、3部では父親のふるさとであるアフリカのケニアに渡った時の話で成り立ちます。
500ページを超える大部ですが、その論旨は必ずしも明快というわけでもないのですよね。それでもその言わんとするところを読み取ろうと私なりに努力しました。
結局本書は著者の人生が「アイデンティティ探し」の長い道のりの途上にある、ということを言わんとしているのだろうと思います。ただし、人種の違いの問題、父母の国の貧富の格差等、「自分探し」という手垢がついたものとは違って、もっと複層的なものだろうな、とも。
彼は第三部において父の故郷、アフリカのケニアに渡ります。祖父と父の墓の前で悟るのです。他人を信じる気持ちの重要性と、それを忘れることの悲劇を。それがあればどのような差異も乗り越えられるという悟りなのです。
そして彼の政治的な立場は、人種の違いを超え、コミュニティをつくりあげていくこと、にあると言っていいと思います。
常に黒人としての自分を意識せざるをえず、といいつつも白人社会の一員という意識も持つ彼が、白人が黒人を差別することの不当性はもちろんですが、黒人達が「すべて白人が悪い」というスタンスで社会批判をすることに対しても距離を置こうとしていることも理解できます。
ただし、これはリベラリズムに対置されるコミュニタリアニズムなのかというと、本書の記述からだけでは良くわからないのですよね(要するに自由に対する一定の制限を許容するかどうか)。一応エピローグには「コミュニティと我々の自由はどうしたら調和させることができるのだろう?」と自問しているのですね。このあたりは大変に興味があります。
イリノイ州議会議員や上院議員時代の話や政治的な立脚点等については述べられていないので、その後の彼の思想的な変遷等について知りたいですね。
500ページを経てなおその論旨が明快とは言い切れないのは、彼は黒人の父親と白人の母親の血を引いているものの、やはり黒人としての自分を強く意識せざるを得ないからなのでしょう。
彼は黒人社会に根強く残る「黒人が不幸なのは白人が悪い」的なステレオタイプな社会観から距離を置こうとしており、そのためには、「自分がいかに長い道のりを経てこのような思考に至ったのか」ということを、おそらく黒人の側に示す必要があったからなのだろう、と思います。
Barack Obama: Future US President
(アメリカ生まれの「黒人」ではなく)ケニア生まれの「アフリカ人」を父にもつ
米国(ハワイ)生まれのバラク・オバマ上院議員は、米国政界で、極めてユニー
クな存在である。ある意味でアメリカ社会を「外国人」の視点から、冷静に眺め
ることができるからだ。そのオバマが最近、2008年の米国大統領選の民主党
候補として、彗星のごとく登場したかと思っているうちに、何時の間にか、
最有力候補のヒラリー(クリントン夫人)と堂々と肩を並べながら、次期大統領へ
の切符を互角に争うまでに躍進した。
特に、ブッシュ政権が残したイラク戦争の泥沼状態から一刻も早ュ抜け出したい
若い世代(有権者)から絶大な人気を勝ちえつつある。(ベトナム戦争末期の)
1968年当時の民主党大統領候補「ロバート・ケネディー」のイメージを連想
させる進歩的、エネルギッシュかつ正直なカリスマ、オバマ候補だけに、これら
の若者たちが熱望している「ドラマチックな」政治的路線の変換ができるだろう。
あくまでも保守的な中道路線をとる、政治経験豊かな老かい政治家ヒラリーには、
余り変化を期待できないと、進歩派のインテリ層も次第に気がつき始めた。前回
民主党の大統領候補だったケリーもヒラリーを捨て、オバマ支持を最近表明した。
さて今年は、予備選が例年よりもずっと早期に開催され始め、大票田の1つである
ペンシルバニア州の予備選(4月22日)で、大勢が決まってしまう。勝敗のゆく
えはまだわからないが、はっきりしていることが1つだけある。有権者の大半に飽
き飽きされている共和党は誰が候補に指名されても、もはや勝目はない。
そこで、近い将来、次の2通りのシナリオが予想される。もし「本命」ヒラリーが
勝てば、オバマは副大統領への切符を恐らく獲得するだろう。そして、ヒラリー
が2期、無難に大統領を勤めたあと、(8年間の実績を買われ)オバマは201
6年には、自ら大統領にきっと選出されるだろう。もし番狂わせが起こり、この
夏にオバマがヒラリーを破って、民主党候補に指名されれば、11月には、大統
領に当選するだろう。どちらにしても、オバマが遅かれ早かれ史上初の(非白人)
大統領になるのは、ほとんど(醜い「暗殺」が再発せぬ限り)確実である。
言い換えれば、この自伝は、(近い将来、米国の大統領になるべき) オバマが、
まだ政治家になる前に、白人社会と非白人(アフリカ人)社会の狭間で苦しみな
がら何とか生き抜いた母子家庭生活、多情多難な若き少年/青年時代を赤ららに描
いている。(根強い「差別社会」である)日本で、いわゆる「ハーフ」あるいは
「在日」として育った青少年たちには、特に勇気と啓蒙と感銘を与えると私は信じる。
できれば、邦訳「パール・バック伝:この大地から差別をなくすために」も併せて、
読んでもらいたい。
オバマの政治家としての (特にシカゴでの上院議員時代の) 活躍ぶりを知りたい
読者には、最近出版された評伝「Obama:from Promise to
Power」をお勧めしたい。
さて、日本の政界でオバマのような若々しい政治家がトップに踊り出るチャンスは
一体あるだろうか? 首相を飽くまで議会で選ぶ 「間接的な」民主主義から脱し、
国民一人ひとりの手による「直接選挙 」(投票)で、「国の長」(大統領) を選ぶ制度
へ大きく変換しないと、官僚出の古臭い政治家ばかりが、いつまでも日本の政府を
牛耳ることになるだろう。
オバマ自身の言葉によれば、彼の大志の出どころは、父親の期待に答えるばかりで
はなく、父親の犯した失敗を繰り返すまいとする努力にもあると。
ぜひ, 父子の夢が見事にかなえられるように望む。。。
マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝
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スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡
スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡林 信行
買っておいて損はない
まず、写真が美しい。
そして間違いなく後世に残る経営者だ。
iMac,iPod,iPhoneと続け様にヒット商品を産む出す能力はどこから生まれてくるのか?
21世紀に残して置きたい本の1冊として購入しました。
とにかく、購入すべき1冊です。
「Mac Fan」ならぬ「Jobs Fan」
古くは「六色リンゴロゴ」「Lisa」、さらに「NeXT」「PIXER」、そして「IMac」「iPod」「iPhone」など、彼が関わったプロダクトや会社などごとに当時のエピソードなどを数ページずつ、そして本文とほぼ同じページ数を割いて彼の写真と名言で、その足跡を綴っている。一言でいえば、「Mac Fan」ならぬ「Jobs Fan」といったところ。
本文はとてもコンパクトにまとめられており、この本を手に取る人のほとんどは知っているであろう内容。やはりこの本は数々の写真のためにある。個人的にはジョブズとゲイツが並んで笑っている公開インタビューの写真(伊藤穣一氏が撮ったもの)が好きだ。
ともかく彼のファンのためのものだが、こんな本にもなる「ビジネスマン」を私は他に知らない。ビジネスマンというと語弊があるかもしれないが、たとえタイトルのとおり「クリエイティブ・ディレクター」としても、たいていはその人が「生み出したもの」にフォーカスをあてているはず。芸能人でもない人物にこれだけの写真を使った本が出るということが、彼の実績と生き様に多くの人を惹きつける力があることを証明しているといえる。
私はMacを持ってないが、こういう人がいないと世の中面白くないし、癌が発見された後、奇跡的にカムバックできて本当によかったと思う。
ジョブスとアップルの偉大なる歴史を振り返りつつ、秀逸なブランド本として読むと面白い。
本書は、ジョブズやアップルの生い立ちや歴史などを振り返るものであるが、副題にあるとおり、偉大なクリエイティブ・ディレクターの軌跡を描いた仕上りにもなっている。彼の発想や仕事の進め方などは、まさにクリエイティブ・ディレクターのそれに等しい。強烈かつ斬新なビジョンの提示、極めてハードルの高い目標設定、優秀な人材のスタッフィング(競合他社からの引抜き含めて)、過酷ともいえる程タフな労働と効果的な動機づけ、デザインの細部までの異常なこだわり、など、ごく普通のITベンダーの経営者の常識的な働き方、発想とは一線を画していることがわかる。そして、それらがアップルのプロダクトやデザインの魅力に直結しているし、単なるプロダクトを超えたブランドに結実しているのだと感じる。本書は、秀逸なブランド構築の事例を著した書物として読むとより一層の手応えを感じるだろう。書棚に残る一冊であると思う。読み手がジョブズやアップルのことを知らない場合は、より一層インパクトが大きいだろう。
スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡
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世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか岡田 芳郎
こんな人がいたんだ…
一気に読みました。昔やっていたテレビ番組「知ってるつもり」のネタになりそうな話です。
タイトルは「?なぜ忘れ去られたのか」となっていますが、著者は主人公である佐藤久一さんが再評価されることを訴えて、長年の取材の上でこの本を書いたのです。
主人公はサービス業の本田宗一郎とでもいえるような人です。本田宗一郎を支えた藤沢武夫のようなパートナーがいれば今でも評価を得ることができたのではないでしょうか。
しかし彼はそういうパートナー自体を認めなかったのかもしれません。
読んで山形県酒田市という所にも興味がわきました。
古き良き時代と言えば簡単だが
どこの地方都市も例外無く、商店街は活気を失いシャッターを締めたままの店舗が眼に付く。
人は郊外の大型店に集まり、消費する。全国的に同じような景色、特色の無い扁平なイメージ。
しかし、集客力を失ってしまった商店街の中にも、変わらず人々に愛されている店もある。
多少の不便を押してでもわざわざ足を運ばせる魅力ある店。それがル・ポットフー、欅という料理店なのだろう。
その根底にあるのは酒田の豊かな風土と佐藤久一の探究心、奉仕の心なのだ。
ほの暗く寂しい東北の冬景色の中に、ほっかりとした暖かい灯が見える。
そこにあるだろう至福を求めて人々がドアを開ける。
佐藤久一が作った店は、そんな風に今でも存在しているのではないだろうか。
まさに目から鱗
私は酒田市民だ。佐藤久一という名前と、グリーンハウス、レストラン欅、ルポットフーを作った人としか、恥ずかしながら知らなかったのだが、この本を読んで、非常に詳しく「佐藤久一」という人物について知る事が出来、如何に地元酒田の文化レベルを上げる事、多くの人に幸せを与える仕事に情熱を傾けたのかがよく分かった。
構成も時系列になっている為、そのまま素直に読む事が出来、あっという間に読み進める事が出来た。こういった本があると、地元酒田市民として後世に語り継いで行く事が出来る。
また、佐藤久一の存在を誇りに思うようになったことを、この筆者に感謝したい。
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
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世界でもっとも美しい10の科学実験
世界でもっとも美しい10の科学実験ロバート・P・クリース
単なる実験の解説書ではありません
「こういう本があるんだな」というのが一番の感想。
この本に出会えて本当によかったと思える一冊である。
ひとつひとつの実験の原理や結果を理解していくのは、確かに面白いが、同時に、
その実験が「美しい」と感じられる所以を、著者と、そして訳者の緻密な文書
から読み取る楽しさがある。
個人的には、第10章の単一電子の量子干渉は、鳥肌が立ちっぱなし。
読み終わったあと、なぜか美術館にいってみたくなりました。
科学の実験は、芸術であり、職人芸である
書名に惹かれて手にとって見た。著者のクリースは初めてだが、訳者の青木氏はサイモン・シンの『暗号解読』を読んだことがある。原著の内容を十分咀嚼した上で訳出されているので、ちゃんとわかる日本語になっているのがよい。
さて本書は、科学雑誌で募集した「美しい実験」で上位にランキングされたものを、その実験方法や実験者の人となり、当時の社会背景などを織り交ぜながら、科学の実験の「美しさ」を考察するものである。
取り上げられている実験は、
・ガリレオのピサの斜塔の実験 →重さに関わらず落下の速度は同じ
・ニュートンのプリズムの実験 →白い光は多数の色の集まりであることを証明
・ヤングの二重スリットの実験 →光は波であることを証明
などなど。それまでの社会の常識を変えたエポックメイキングな実験ばかりで、科学史としてもたいへん興味深く読める。
主題である「実験の美しさ」とはなにか。
ひとつは、科学の実験は職人芸のようなものである、ということ。注意深くノイズを取り除かなければ対象の真の姿は見えない。材料があれば誰にでもできる、というものではない。もうひとつは、シンプルで直感的な実験を考案するのは、それ自体が芸術と同様、属人的な創造的行為である、ということ。
中世までは科学者のことを自然哲学者といった。哲学と宗教と科学は(日本では全く意識されないが)西欧では非常に密接な関係をもっていて、例えば、学校で進化論を教えるのはいかがなものか、というような議論があるように、いまでもなおせめぎ合っている。科学の「美しさ」もその背後にはアリストテレス以来の論争があるようで、その深さに感じ入った。
美しい科学実験とは?
中学?高校の科学(物理)知識があれば、本書で取り上げられている科学実験のほとんどを
理解できます。
ガリレオ、ニュートン、フーコーなど単に教科書では現象の科学的説明と法則の導出に
とどまっていたものが本書により、時代背景から主人公の生い立ち、その実験を
しなければならなかった必然などがストーリーとしても面白く読めます。
特に実験系に携わっている人なら、美しい実験と言われてイメージするものが
あるかと思いますが、本書には過去の偉大な実験の中でも特に代表的なものが
取り上げられており、科学の広がりと奥深さを感じることができるのではないかと
思います。
前半部の実験は小学生からでも読んで理解が可能であり、また理系の大学生であれば
科学実験の美しさの一端に触れるためにも、全般を通読していただきたいと思います。
お勧めの書です。
世界でもっとも美しい10の科学実験
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波乱の時代(下)
波乱の時代(下)アラン グリーンスパン
経済学の入門書にピッタリ!
本書は資本主義の基礎を学ぶ本として優れていると思います。
私がアメリカに留学していたころ経済学の授業で500ページをあろうかという教科書を何冊も読まされましたが、本書はそれに相当する良書です。彼の言ってる事が全て正しいかは疑問ですが、少なくとも人生のほとんどを経済に掛けてきた人として一聞の価値はありです。資本主義の根本は分業にあります。個人がそれぞれの欲を追求することによって結果としてうまく回っている。そしてグリーンスパンは自分の興味がもっともある経済という分野について研究を重ねてきた人物。本書を読む事はプラスにはなれどマイナスにはなりません。
われわれも明るい未来を思い描けるような構想力を持ちたい
元FRB議長であったグリーンスパンの自叙伝と世界経済の展望を記した書物である。
前半は、バンド奏者から大統領顧問になるまでの成功物語で、よくあるアメリカンドリームのひとつにすぎない。
後半になり、一流の経済運営をしてきたグリーンスパンらしさが感じられる。「グローバリゼーションと規制」、「教育と所得格差」、「高齢化する世界ーだが支えられるのか」、「コーポレート・ガバナンス」、「長期的なエネルギーの逼迫」などなど、現代の世界(そして日本も)が抱える多くの問題に、著者なりの考え方を提示している。最後の「未来を占う」では、多くの問題はあるにせよアメリカの経済は2030年には、現在よりも4分の3大きくなっていると予測している。というより、将来は明るいと予測することこそが、人類が逆境に耐えて進歩していくための処方箋であるとしている。
残念ながら本書では、日本に触れられている部分は少ないが、われわれも明るい未来を思い描けるような構想力を持ちたい。
長期投資家に必読の書
上巻以上の出来。彼の基礎哲学(スミス、フリードマン等)と各国評価が一貫している論理性は凄い。彼の見る、中国・ロシア・インド・英以外の欧州への警報は確かに受取った。これらの指標が警報サインとして出現したら、それらの国は「売り」であろう。投資家は一考すべき。
教育、所得格差、環境、エネルギー、年金・医療問題にはエコノミストとしての処方箋が示されていて、参考になったが、最適解ではないかも。金融サイドからのみの提言の限界は、私自身は認識している。
彼のユーモアは貴重だ。70歳のプロポーザルで5度目(相手は3度目と認識)でやっと相手に通じたとか、スピーチがやっと理解できたという聴衆のコメントに対する在任時代の曖昧模糊表現への切返しなど、クスクス笑える場面も多い。私もGSのガールフレンドになり、世界経済を是非議論したいと思える。
波乱の時代(下)
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波乱の時代(上)
波乱の時代(上)アラン グリーンスパン
知識の自叙伝
この本の面白さは、なんと言っても
この本がグリーンスパンの単なる自叙伝ではなく、
彼が如何にして、どのような知識を得て、実践してきたかという
彼の知識の自叙伝だからである。
また、その知識を実践する場がアメリカ経済のみならず
世界経済に対してもっとも影響力のある機関FRBであることが
この本を非常に魅力的で稀有な本にしている。
とくに、驚くべきはグリーンスパンの知識のディテール
へのこだわりである。普通の経済学者と違い
ミクロ経済のディテールからマクロ経済の知識を
積み上げていったのが彼のFRBでの実績を支えた、
ひとつの要因ではなかったのか。
また、この本は、アジア経済危機やメキシコの債務超過危機に
世界を救った三銃士のもう一人、ロバート・ルービンの
「ルービン回顧録」と併せて読むと、アメリカ政府の経済運営の
内側やクリントン政権の経済政策を理解できると思います。
さらに、民主党のルービンと共和党のグリーンスパンが
党派を超えて自由貿易主義のもと協力して経済運営をする超党派的姿は、
現在の共和党と民主党の行き過ぎた対立が現実世界に
どのような結果をもたらしたかを浮き彫りにする
いい対比になるのではないでしょうか。
理性を信じ、品位を保った最後の紳士
ニクソンから息子ブッシュまで多くの大統領に仕え、数多の議員と論争し、マスコミにやじられ、煮え湯を飲まされたが、この本では、他の著者(例;スティッグリッツ教授)にあるような、激烈な非難の言葉や汚い非難は一切ない。ニクソンまでが、その頭脳の優秀さを最大限賞賛され、但し自分はニクソンのヒステリックな罵詈雑言を聞き、職を辞退したとの一言だ。クリントンに関しては、財政黒字化のために拒否権を発動した勇気と知性をたたえ、あの醜聞に関しては、「信じられなかった。」とのみのコメントだった。
最初の結婚の失敗も全て自分のせいにしている。
ここまで、率直かつ清廉な文章を書く人間は久しぶりである。
経済と政治
貢献はたしかに大きいが、わかりにくい言説の人であること、まだ現役に近く、政権や現役者に遠慮のあろうことから、あまり期待していなかったところ、そのあまりの率直さに驚かされた。小さな政府、人間の自由意思という、哲学的な原理から共和党を支持して貢献してきたグリーンスパンが、いわば敵の民主党のクリントンの下で僚友に恵まれいい仕事ができた一方、ブッシュジュニアの下では足元がくずれるような裏切り、絶望感の下で仕事していたのだとわかり、ほんとうに驚いた(ほかの点は既知の事項に属することが多かったが、この点は本人がいわないと、わからない)。354頁あたりで名指しで、財政均衡を党利党略の犠牲にした政治屋を攻撃しているあたりは、単なるエコノミストを超えた経済学者としてのこの人の真髄を見た気がした。
波乱の時代(上)
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反転―闇社会の守護神と呼ばれて
反転―闇社会の守護神と呼ばれて田中 森一
「裏社会」と「表社会」は密接だった!
新聞の広告欄のただならぬ書評を見て興味を持ち読んでみた。
実物は想像以上に分厚くて文字も小さい。
自分の知らない事件や人物も多く取り上げられており、読み通せ
ないかもしれないと思ったが、実際には1日で読み切ってしまうほど
文章に引き込まれた。
引き込まれた理由は、これまで意識したこともなかった「裏社会」
の存在とその「裏社会」と「表社会」との繋がりがわかりやすく
書かれているからだ。
利権に絡むヤクザや政治家のドロドロとした描写は生々しい。
地検と弁護士を経験した筆者の「バブル」の考察はなかなか
面白かった。
兼松日産農林や井筒屋の仕手戦を手がけたK氏についても触れられて
おり、これだけでも読んだ価値があったと思った。
本書をきっかけに、改めて過去の事件や登場人物について掘り下げて
調べてみたいと思った。
いわゆる「悪人」本。よく書かれている。
面白く読めた。
筆者は全てを洗いざらい書いたものだと思う。
登場人物のほとんどは実名。
自らの生い立ちも赤裸々に綴っている。
この本を読めば、例えば許永中や多くのバブル紳士たち、ヤクザ世界の人々も、魅力的な人物と映ってしまう。
確かにそういう面もあるのだろう。
が、全てを肯定はしてはいけないとも思う。
彼らの為に人生を狂わされた庶民、死に至らされた庶民が大勢いることは間違いの無い事実だからである。
筆者田中森一氏もまた魅力的な人物である。本音で生きていて、偽善的でないところに共感できる。
彼の所業を常識的、客観的に見ていけばやはり悪人ということになるのだろう。
彼の場合は本音で生きているうちに、意識せず悪行を行ってしまったともいえるのかもしれない。
最近、こうした「悪人」達の本を出版することが流行っており、元外務省の佐藤優氏やこの田中氏はその代表格だ。
この風潮はどうかと思うが、我々のうかがい知れない世界を知ることができるという点でのメリットはある。
本音で語るこの本は、バブルの時代や裏社会、検察、(悪徳)弁護士などの真実を知るためには非常に興味深い一冊だと思う。
★魂を悪魔に売った男★
●「主文、被告許永中、被告田中森一の原審一審判決を破棄する」。裁きにのせる側が裁かれる立場になるまでの裏の事情の数々。金と権力と名と血。世の中は一般の知らないところで回っている。
・判決
・凱旋
・法の番人へ
・捜査現場
・鬼検事の正義
・転進
・ヤクザと政治家
・バブル紳士たちとの甘い生活
・落とし穴
・審判
●悪人といえど、いや、悪人だからこそ持っている独特の力がある。まして、巨悪やヤクザのトップであればなおさらである。
●「弁護を引き受けた以上、仮に被告人が道義、道徳に反していても、世間から極悪人、社会の敵と指弾され、蛇蠍のように嫌われている人物であっても、その権利や利益は擁護しなければならない。」
●彼は魂を悪魔に売ったのである。
反転―闇社会の守護神と呼ばれて
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ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)
ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)リチャード P. ファインマン本書の上巻では若く初々しかったファインマンの姿に触れることができるが、下巻では、成長したファインマンが1人の「物理学者として」物理のみならず社会や芸術とかかわってゆくさまに触れることができる。 どんなに権威者になっても(彼はそう呼ばれるのを何よりも嫌ったが)、彼は決して物理学者としての誠実さを変えることはなかった。サバティカルでブラジルの国立研究所に滞在した彼は「教科書を丸暗記するだけ」の物理の大学教育に業を煮やし、ブラジルの「お偉方」の大学教授たちの前で「この国では科学教育が行われていない」と言い放った。またあるときは、学校教科書の選定委員としてすべての教科書に目を通し、教科書の内容が科学的誠実さを欠いているのを真剣に怒り、他の委員たちと闘った。 彼の信条でもある「好奇心」は年齢を重ねてもとどまる所を知らず、カジノではプロの博打うちに弟子入りしたり、ボンゴドラムでバレエの国際コンクールの伴奏をしたり、また、幻覚に強い興味を持った彼は、旺盛な好奇心からアイソレーションタンク(J.C.リリーが発明した感覚遮断装置)にまで入ってしまう。彼は他人のことなど気にとめず、素直な心で物事を見つめ、興味をひかれたらそれに夢中になる。彼は何より人生を楽しみ、人生を愛していた。 そんな彼の書いた本書に触れていると、いろんなことを話したくってうずうずしている彼が、目を輝かせて楽しそうに自分に向かって話しかけてくれているような気分になる。そんな気分にさせるのは、大貫昌子による素晴らしい訳のおかげでもあろう。訳者はファインマンと親交があり、彼に相談しながら翻訳作業を行っているため、原文の持ち味が十分に表れている。(別役 匝)
ファインマンの自伝が文庫になった
ファインマンの自伝が文庫になった。
物理学の教科書といえば、ファインマンのが分かりやすい。
そのわかりやすさの源泉がこの本から伝わってくる。
せっかくこの自伝を読んだ人は、ぜひ、ファインマン物理学も読んでみてください。
ちょうど、高校2年生が読んで、理系に進もうと思ってもらえるのが一番嬉しい。
お子さんが高校生ならぜひ、買って居間になにげなく置いておいてください。
ファインマンに会ってみたかったなあ
大学時代に、ファインマン物理学の本のわかりやすさに感動しました。その物理学の教科書に、ファインマンがボンゴを叩いている写真が掲載されていましたが、その背景もこの本を読んでわかりました。この本のエピソードの一部については、ファインマンの肉声のCDも発売されていて、通勤車内で聴いていると思わず笑ってしまい、でもとても勇気をもらいます。間違っていることは権威者にでも間違っているというファインマン、一方で、誰にでも暖かい思いやりを持っていたファインマン、彼のレター集を併読することによって、ますますその人柄を愛さずにはいられません。
最高。凄い面白い。が、準フィクションであることは注意したい
上下ともに面白く、ファイマンが語った準フィクションを集めた本。
(純粋な自伝的エピーソード集という以上にフィクション度が高いとのことだ)
まず、読み物としての面白さだけでも、すこぶるつき(これは上下ともに)で、3回も読んでしまった。
そのように、大変に面白い本でありながら、下巻は別の意味で注目に値する。
なんというか、ファイマンが疑似科学的な主張や領域に対して抱く、好奇心と懐疑精神の融合が
いかんなく発揮されている話が散見され、そういう意味でも読む価値がある。
催眠の被験者としての詳述や、感覚遮断タンク、虫の知らせ、などなどなど。
不思議なことに驚嘆し、知的好奇心を持つということは、チンケな超常現象に対してかたっぱしから、
「心を開く」ことではなく、事実へ対する愚直なほどの誠実さ―科学的懐疑精神―によってこそ、
本当に価値をもつのだ、ということが伝わってくる。
私は一生忘れないだろう。
リチャード・ファインマンという科学の精神性を体現した男がいたことを。
その男が、健全な懐疑精神を手離さず、同時に好奇心の塊であり続けたという現実を。
ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)
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ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)リチャード P. ファインマンR.P.ファインマンは1965年にJ.S.シュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を授賞した天才的な物理学者である。こう書くと「理数系が苦手」な人は逃げ出したくなるかもしれないが、そんな人にこそ本書を手にとっていただきたい。 本書は20世紀を代表する天才物理学者の自伝ではない。R.P.ファインマンという人生を楽しむ天才から我々への贈りものである。
「ファインマンと聞いたとたんに思い出してもらいたいのは、ノーベル賞をもらったことでもなければ、理論物理学者であったことでもなく、ボンゴドラムでもマンハッタン計画でもない。僕が好奇心でいっぱいの人間であったということ、それだけだ」といつも言っていた(下巻訳者あとがきより)。 「なぜだろう?」といつも好奇心いっぱいの子どものように世界を見て、いったん好奇心をひかれたらそれに夢中になり納得のいくまで追求する。彼は一切の虚飾と権威を嫌い、相手がそれをかさに着ているとみるや容赦しなかった。それは、そのような態度が、楽しいはずの真実の探求を邪魔する厄介なものだったからである。 上巻では、彼の少年時代、物理学者としての修行時代、また駆け出しの物理学者として携わったマンハッタン計画から終戦を迎えるころまでのエピソードが収録されている。どの時代においても彼はその状況を最大限楽しみ、そして、決して流儀を変えなかった。
自分が理系か文系かなんて関係ない。もし少しでも本書に「好奇心」を持ったなら、ぜひ一読をおすすめする。(別役 匝)
ファインマンの自伝が文庫になった
ファインマンの自伝が文庫になった。
物理学の教科書といえば、ファインマンのが分かりやすい。
そのわかりやすさの源泉がこの本から伝わってくる。
せっかくこの自伝を読んだ人は、ぜひ、ファインマン物理学も読んでみてください。
ちょうど、高校2年生が読んで、理系に進もうと思ってもらえるのが一番嬉しい。
お子さんが高校生ならぜひ、買って居間になにげなく置いておいてください。
ファインマンに会ってみたかったなあ
大学時代に、ファインマン物理学の本のわかりやすさに感動しました。その物理学の教科書に、ファインマンがボンゴを叩いている写真が掲載されていましたが、その背景もこの本を読んでわかりました。この本のエピソードの一部については、ファインマンの肉声のCDも発売されていて、通勤車内で聴いていると思わず笑ってしまい、でもとても勇気をもらいます。間違っていることは権威者にでも間違っているというファインマン、一方で、誰にでも暖かい思いやりを持っていたファインマン、彼のレター集を併読することによって、ますますその人柄を愛さずにはいられません。
最高。凄い面白い。が、準フィクションであることは注意したい
上下ともに面白く、ファイマンが語った準フィクションを集めた本。
(純粋な自伝的エピーソード集という以上にフィクション度が高いとのことだ)
まず、読み物としての面白さだけでも、すこぶるつき(これは上下ともに)で、3回も読んでしまった。
そのように、大変に面白い本でありながら、下巻は別の意味で注目に値する。
なんというか、ファイマンが疑似科学的な主張や領域に対して抱く、好奇心と懐疑精神の融合が
いかんなく発揮されている話が散見され、そういう意味でも読む価値がある。
催眠の被験者としての詳述や、感覚遮断タンク、虫の知らせ、などなどなど。
不思議なことに驚嘆し、知的好奇心を持つということは、チンケな超常現象に対してかたっぱしから、
「心を開く」ことではなく、事実へ対する愚直なほどの誠実さ―科学的懐疑精神―によってこそ、
本当に価値をもつのだ、ということが伝わってくる。
私は一生忘れないだろう。
リチャード・ファインマンという科学の精神性を体現した男がいたことを。
その男が、健全な懐疑精神を手離さず、同時に好奇心の塊であり続けたという現実を。
ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
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