選書

誰のためのデザイン?

一読の価値ありです大学時代、使いやすさとはなんぞや・という疑問からであったのがこの本です。
就職先の種類を考える一冊にもなりました。

製造、IT、様々な分野を目指す前の、魅力ある指標だと思います。
ほんと素晴しい本デザイナーのみならず、
あらゆる人に読んで欲しい本です。

要は「相手に対する思いやり」。

カッコいいデザイン、商品、サービスも、
相手を満足させなければ、ただのゴミである。

賞なんて関係ない、権威も意味が無い、
逆にそういったものがある人は、
余計なプライドが先行してしまい、
独りよがりのデザインや企画で終わってしまう。

いかに自分を目立たせずに、
相手の利を考えることができるかどうか。

自我との戦いに勝たない限り、
いいデザイン、企画、サービスは生み出せないのである。
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)ドナルド・A. ノーマン「…私は引いて開けるドアを押してしまったり、押して開けるドアを引いてしまったり、横に滑って開くドアに正面から突っ込んでいってしまったりする…」 これは、本書の冒頭で語られる著者の失敗のひとつである。こうした失敗を、普通の人間なら単なる自分の「ついうっかり」として見逃してしまうところなのだが、著者は見逃さなかった。それは彼が認知科学者として数多くの産業事故の研究を行い、多くの事故が人間による操作ミスの一言でくくられてしまうことに疑問を持っていたからである。 著者ドナルド・A・ノーマンは、認知心理学者であり、ヒューマンインタフェース研究の草分け的存在だ。そして本書は、電話機、パソコン、蛇口、コンロなど、私たちの身の周りにある道具と人間の関係を真剣に考える、道具の心理学の本である。 新技術を使った道具についていけなかったり、すぐに使い方を忘れたり、間違えてしまったりするとき、私たちは使えない自分を責め、恥じ入ることが多い。しかし、その態度は間違いであり、原因は道具のデザインにある、と著者は主張する。 「デザイナーは、起こり得るエラーが実際に起こることを想定した上で、そのエラーが起こる確率と、エラーが起こった時の影響が最小になるようにデザインしなければならない…」 この発想こそ、現代ヒューマンインタフェースの根底にあるユーザー中心のデザイン原理であり、本書はこのデザイン原理について一般を対象に初めて語られた代表的著作である。 本書では、まず身の回りにある道具にどのような問題点が隠されているかを考察し、道具を使う人間についての行為や知識に関する認知心理学的な分析を行う。さらにユーザーにとって良いデザインとは何か、なぜデザイナーは良いデザインができないのか、と分析を進め、これらを踏まえた上で、ユーザー中心のデザインの7つの原則を提案する。 学術的には高度な内容であるにもかかわらず、その語り口調は軽快でわかりやすい。本書自体、大変ユーザーフレンドリーなのである。すべてのデザイナーにわかってもらいたい。そうした彼の考えが貫かれた1冊だ。(松本浩二)

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南吉の理想、そして~童話作家、新美南吉の作品です。長野ヒデ子さんの絵もほのぼのしていて、良く雰囲気が出ていると思います(表紙はちょっと… )。が、何と言ってもこの作品の魅力は、強烈なインパクト、短編なのに良く出来た進行及び構成、何と言っても素晴しい結末、ですか?~~ここで突然ですが、声を大にして言いたい。今の日本が忘れてしまった大切な何か。あなたは忘れていませんか?その何かが、この作品には確かにあります。それは… ちょっと言えませんですな。それは。ただ、「ごんぎつね」や「手ぶくろを買いに」よりも濃いです。あまりにも濃いので、最初に読む時は、こっそり一人で読む方が良いと思います。~~南吉の言いたかったこと。朝と夜では足の大きさが変わりますので、靴を買う時は気をつけましょう。では無い。決して無い。万人におすすめですが、特に子育て中の親御さんにおすすめです。そして是非、お子さんと一緒に読む機会を持ってほしいと思います。~狐 (日本の童話名作選シリーズ)

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渋滞学 (新潮選書)

渋滞学 (新潮選書)西成 活裕見えない自然の力を理論に
生き物たちや人、人が操作する車、そういった物が沢山存在すると、密なところと疎なところが必ずできてきます。気持ちのいい密な状態もあれば、効率を落とす一方の密な部分もある。著者は、こういった感覚的にとらえていた物のも、理論や数式で考えていく事が可能である事を示しています。そして、数式やコンピュータの限界もあわせて併記されています。本書は、自己駆動粒子である我々が、摩擦無く細い部分をうまくすり抜けて、効率を落とす密な状態の渋滞を避けて暮らしていけるヒントを与えてくれています。きっと難しい理論が後ろに控えているでしょうに、とても面白い。人に直観的に物事を伝えてくれる親切さを伴っており、著者のユーモアが効いています。良い本です。久しぶりにうなりました。

工学から理学が立ち上がる
前から断片を聞いて面白そうだった話題が書店に平積みになっていたので買って読んでみた。

「渋滞」という切り口で、道路の渋滞、バスの団子運転、避難時間、パケットルーティング、森林火災の延焼分析など、様々な現象を取り上げてあるのはなかなか興味深かった。「どう見ても工学」からの発想が、「新しい理学」を切り開いて行く姿が見えるのだ。

ただ、個々の話題の中で本当に面白かったのは、道路の渋滞の話題だけだったかも。それ以外は、全体に駆け足で説明不足感が免れなかった。まあ、それでも、これだけのボリュームになるんだから、しかたない。

最後の理学工学論もご愛嬌かな。言いたい気持ちはよく分かる。直接言わずに伝われば良いんですけどね。

新しい学問の在り方
「渋滞学」についての概説書。さらにいえば、「渋滞」を切り口に

新しい学問の在り方を構築しよう、という試みがなされてる

ように感じた。

誰にでも身近な現象である渋滞について、学問の対象として

考えるという視座が新鮮だった。また、渋滞が人混みや

車の渋滞ばかりではなく、ありやインターネット・人間体内での

物質の活動などさまざまな分野に関わるという説明も興味深い。

私にとってもっとも印象的だったのは、コンピュータ上で

「ASEPというおもちゃモデル」を使って渋滞の研究を進められるという部分。

ASEPはきわめて単純なおもちゃであるにもかかわらず、

多くの知見が得られる優れたモデルであるという。

こうしたおもちゃを動かして遊ぶようなプログラム入門書が

あったら楽しいだろう、としみじみと思った。

渋滞学 (新潮選書)

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「国語」入試の近現代史 (講談社選書メチエ (405))

「国語」入試の近現代史 (講談社選書メチエ (405))石川 巧「国語」入試の近現代史 (講談社選書メチエ (405))

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源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820) (朝日選書 820)

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820) (朝日選書 820)山本 淳子オススメの一冊
高校生読者も対象としたにしては、最初の花山帝のくだりは少々表現がキツイか。もちろん、一条帝との対比を意図したものであること等は分かるし、その点では成功している。また一条帝と定子のそれは、厳密にいえばやはり「恋愛」ではありえない。しかし、
そんな瑣末なことよりも、この時代の後宮の世界を立体的にわかりやすく示し、読後もいろいろ知的好奇心をかきたてられた点で好著といえる。父・藤原道長からの彰子の自立には母や夫の存在が自身の皇統の自覚を促したかとも思わせる。

『栄花物語』を大胆に用いて、一条朝を描く
従来、あまり史料としては重んじられなかった『栄花物語』を、「人々の関係や微細な心理に深い関心を寄せていて、見逃せない独自の情報も多い」として、積極的に取り入れ、さらには『枕草子』『紫式部日記』『権記』『小右記』などを駆使し、最新の研究成果を基礎に、一条天皇と定子、彰子の関係を、生身の人間として丁寧に描いています。圧巻は、定子の遺児敦康親王に対する彰子の思いの分析で、本当に細やかに述べられています。

また、受領層出身の定子と皇族の血を引く彰子との出自から来る性格の違いの指摘も興味深く、それぞれのサロンの雰囲気の相違につながったことが理解されます。

完成された文体で人間像を描く
本書は、源氏物語成立史を縦糸に、紫式部が間近に見た天皇や后たち、藤原道長とその周辺の人々の姿を描き出したもの。各種の歴史資料や作品から、人間像を浮かび上がらせるその手法は見事で、専門外のものでも思わず引き込まれる魅力を備えている。また、宮廷女性の自立が一つの隠れた主題になっており、とくに父親道長への反発から劇的に成長していく一条天皇后・彰子についての記述からは、著者の共感が伝わってくる。さらに注目すべきなのは、簡潔かつ明晰でありながら、軟らかくリズムを備えたその文体で、研究者にしておくには惜しいほどの完成度である。文才と、冷静な中に情熱を秘めた観察眼。それは、おそらく紫式部にも通じ、紫式部への傾倒から身につけられたものでもあろう。こんな言い方が、著者の意に沿うかどうかは分からないが、これを機に文学史の語り部としての活動を続けてほしいものだと思う。四つ星としたのは、必ずや出るであろう次作に期待してのことで、十分、五つ星に値する。
源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820) (朝日選書 820)

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秘伝 中学入試国語読解法 (新潮選書)

秘伝 中学入試国語読解法 (新潮選書)石原 千秋漱石研究の第一人者である大学助教授・石原千秋が、中学受験に“はまった”異色の1冊。もっとも、著者が受験したわけではない。彼の息子が、である。本書は、中学入試に挑んだ一家の顛末(てんまつ)を赤裸々に描いた体験編「僕たちの中学受験」と、国語の入試問題の説き方を手ほどきした国語問題読解編「入試国語を考える」の2部で構成される。 体験編ではまず、中学受験に乗り気でなかった父親が、なぜ受験を是とするようになったのかが語られる。その心変わりを追っていくと、現在の教育制度や公立学校が抱える欠陥が垣間見えてくる。だが、中学受験は生易しいものではない。模擬試験の偏差値に一喜一憂し、志望校選びに翻弄(ほんろう)される日々。それらは冷静な筆致でつづられているものの、「『中学受験は親の受験』という言葉が身にしみた」とのひと言に、著者の本音がのぞく。 一転、国語問題読解編では、著者が文学研究者としての本領を発揮し、有名中学校の入試国語の「過去問」を徹底分析。読解のルール、ノウハウを指南する。ロラン・バルトの「物語は一つの文である」との考えをベースに、問題文の把握の仕方、設問の意味などを克明に解説する。この法則さえ会得すれば“入試国語恐れるに足りず”、というわけだが、果たしてうまくいくかどうか…。 400ページとボリュームはあるが、一気に読ませる。子どもの中学受験を考えている親はもとより、中学受験に無縁な人にも一読を強くおすすめしたい。(清水英孝)
けなげな本…
構造分析ぃ?!?

二項対立ぅ?!?

懐かしいわね…などと遠い目をしてしみじみしてしまうほど

レトロ感というか、既視感が漂います。

でも筆者の言うとおり、まだまだ中学受験では現役で使えるのらしい…!?

で、実効性のほどですが

うーん、これを理解する子は

もともと国語に対する感覚が鋭いのだろうし

ま、国語のセンスはいいのに

成績がいまひとつ安定しないって場合には

有効かもしれません。

なんとなく感じていたことを明文化してもらうことによって

はっきりしてくるってことがありますので。

親御さんが自分も過去に構造分析なんぞに

手を染めたことがあるなら

結構笑えると思います。

ある意味、楽屋オチっぽいかも?

鋭いけれど、、、
よくありがちなテクニックに終始した書と異なり、入試国語の一側面を鋭くついている点はさすがである。一方で、専門家特有のシニカルな部分も多々あり(やむをえないだろうが)、子供が読むか、親が読んで咀嚼してから解説するか、は子供の精神年齢によるだろう。

第一部の体験談は面白く読めるが、中学校についてのコメントはかなり主観的。筆者の好みに合わない学校については「悪口」に近い記載があり、後味が悪い。また、国立大附属の設立の経緯、使命を私立のそれと誤認されている。第二部の入試国語論が秀逸なだけに残念だ。「学校案内」ではないので、主観的でも構わないのだが、説得力があるだけに「真に受ける読者がいるのでは」と危惧して、第一部は星1つ。第二部は星5つ。平均して星3つ。

中学受験にハマル親御さんたち

受験を控えた小学6年生当人よりも、スポンサーである親御さん達の方が

ピリピリし始める季節になりました。本書がそのスポンサー達のマイナー

トランキライザーであることはいまさら申すまでもありません。

その大きな理由は、大多数の親御さんと著者とが年代的にも環境的にも

似通っていること、そして、誰もが共通して感じている受験制度の矛盾を著者

が代弁している、というガス抜き感にあることは否定できません。

しかし、本書が類書をしのぐロングセラー足りえた秘訣は別のところにあります。

それは著作を単なる「親子受験格闘日記」に仕立てなかったことで、ややもすると

干渉過多になりがちなこの時期の親子関係をうまく希釈できたことでありましょう。

即ち後半の国語設問研究の部、がその希釈剤、緩衝剤であるわけです。

内容はタイトルとかけ離れたもので、読解法でも秘伝でもない意味不明の代物であります。

学者さんの独り言といっても良いと思います。それでも読者を惹きつけて止まないのは、

その真剣さ、肩の力の入れよう、であります。

合格発表が済めば、あっけなく、ほんとにウソのようにあっけなく崩壊するこれらの

コダワリは滑稽ですらあります。日本人のみならずアジア人が走りやすい受験信仰の

根源が科挙による既得権益獲得、にあるとしても、中学をどうするかなんてあまり

意味のないことなんですがね・・・。

私はこの本を7?8回通読し、中学受験を控えた5年生を持つ知人に贈与しました。

もちろん国語参考書としてでなく、自嘲も含めた親バカ小説としてであります。

秘伝 中学入試国語読解法 (新潮選書)

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手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)

手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)黒井 健子供の純真さと母親の思い
動物でも、人間でも、あかちゃんが醸し出す、守って欲しい光線。

大人なら、その光線を浴びたら守ってあげたいと思う。

それを言葉で説明するのではなく、お話の筋と絵で伝えてくれる。

冒険をさせた母親と、間違えた子供と、それを見逃そうとする人間の大人。

その3者のお互いの間に距離を持ちながらも、お互いを尊重しようとする心。

自分もそういう態度を示せるようになったときに、さらに感動が深まります。

間違いを指摘するだけが、正しいことではないということを教訓とできれば、2度心が温まるかもしれません。

いい絵本
5歳の子供に買いました。

買ったときは「どうしてこんな本かうの?」と気乗りしていませんでした。

絵が寂しかったようです。

でも読み始めるうちにどんどん絵本に入り込んでおり、子狐が間違えた手を出したところでは

いたたまれなくなったのかお布団にもぐりこんで聞いていました。

読み終わったあとも「どうしてきつねは????」等々、しばらく絵本のお話ばかりでした。

少し長いし、言葉も難しいかなぁ?と思ったのですが、やはり名作はいいです。

充分に理解していました。

購入してよかったです。

余韻が美しい絵本。
大判ですが、寝転がって子供に読み聞かせても無理のない重さの、素敵な絵本です。

キツネの手が出てきたのに手ぶくろを売ってくれたおじさんが良いですね。。。

そして、人間は本当に良いものなのかしら、とつぶやくお母さんの言葉が、

なんとも忘れがたい余韻を心に響かせます。

寒い冬にこそピッタリの心温まる絵本です。
手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)

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競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)

競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)福田 誠治教育の理想を貫いている国
読めば読むほど日本の教育の反対を実行しているフィンランドがうらやましくなった。日本でこのメソードを取り入れても根本が変わらなければ意味がない。良い点数ばかりをとるために塾通いさせる日本の教育。大学を選択するのも卒業後の就職を考えて、企業が好む大学を選択しがちであると聞いている。いったい日本での大学の役割とは何なのでしょう?落ちこぼれを自然に生み出す日本の教育には未来はあるのか。本当に改革していかないと国際社会で生き残ることは難しくならないであろうか。「ニート」を生みだしてしまったのも教育システムの乏しさではないのであろうか。この本にはそんなことを回避し本当の意味での子供たちの将来に役立つ素晴らしい教育を実行しているフィンランド人たちの試みがわかりやすく書かれていてお勧めの一冊です。

フィンランド教育の紹介は貴重だが、余りにもイデオロギーの偏向があるのが欠点。
そもそも執筆者がフィンランドの教育を客観視せず、自らの価値観に合致する側面だけ取り上げているのが最大の欠点である。フィンランド教育を研究し日本に紹介した功績が大きいだけに実に残念である。

フィンランド教育を客観的に研究していれば、出てくる結論は明瞭で「税率を上げ、教育予算を増やし、教員を増やし、現在の公立学校教員の給与優遇を廃止して少人数学級を実現すること」であるはずだ。それなのに何故、筆者は「数値目標に反対」(フィンランドは予算と人員に物凄く拘っているのに!)や「教師が手づくりのテストを作成」や「学級づくりという伝統的な協同の知」のような皮相的な処方箋を出してくるのか。フィンランドと日本の教育の本質を知らないと言わざるを得ない。「上の教育哲学が貧困」とするのは正しいが、研究者の教育哲学、社会構築能力こそ貧困なのではないのか(日本の大学の教授会や人事慣行の実態を考えると結論は明白)。日本国民を広く説得できる論拠と現実的な提言こそが不足している。

そもそもフィンランドの教育の最大の特徴は、予算と人的資源を公教育に集中投資していることであって、「競争しないこと」では全くない。アメリカと並び先進国中で最も教育費が高く、人員に予算をかけない我らが日本とは全く対極にある国である。(ついでに言えば、教員の給与に関しては、年功序列を堅持する日本の方が高くなっている!)

個人的には、日本では人口密度が高くてあらゆる側面で競争的になりがちであること、合理性よりも感情的な判断に左右され、冷静な議論を行う習慣に欠けていること、先を見据えた戦略的思考が弱く、失敗や欠点ばかり追及する後ろ向き発想をしがちであること、無意識に価値観の等質性を他人に要求して価値の多元性への拒否反応が強いこと、以上の四点から、フィンランドの教育をそのまま日本に取り入れるのは困難と考える。

また、EUの戦略、或いはフィンランドの国家戦略は根本的に小国が国際競争に勝ち抜くためのものである(※)。著者はなぜ露骨にその事実を無視するのだろうか。例えばフィンランド政府が自国を代表するグローバル企業のノキアをなぜあれほど優遇するのか、少しは考えるべきではないか。

 ※ この側面に関しては、『受けてみたフィンランドの教育』の方が遥かに参考になる。

ただでさえ教育学はファンタジーまがいの言説を過剰生産しがちな分野である。教育史や教育社会学のように客観視を重んじた研究を望みたい。

子供を育てるならフィンランド。
フィンランドの学力水準は高い。

国際調査でもトップクラスだ。

しかし、詰め込み教育を徹底しているわけでもなく、学力別にクラス分けしているわけでもなく、進学塾が充実しているわけでもない。

むしろその逆だ。

授業中は、生徒が皆違うことをしており、その時間何もしなくても怒られるわけではない。16才までの義務教育期間で他の生徒と比較されることはなく、同じクラスに居ながら、学ぶのが早い子は早い子で、遅い子は遅い子で、マイペースで進む。教師は授業中、生徒達が学習するのをただ見つめているというのが、一般的だ。

「学習するのは、自分のためで、それは生涯続くのだ。」という基本哲学が浸透している様子だ。

さぁどこから手を付ければ、日本がここに近づけるかは、今の時点では分からないけど、こういった理想的な教育を戦略的に実践し、結果を出している国があるということは、心強いし興味深い。

まぁすぐ、国や他人(ひと)のせいにする自己責任に欠ける国柄ではしばらく無理だろうなぁ。

子供を育てるならフィンランド。

事実の真偽はともかく読んだらそう思う。
競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)

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戦後日本経済史 (新潮選書)

戦後日本経済史 (新潮選書)野口 悠紀雄大蔵官僚からみた戦後経済
戦後から高度経済成長、バブル、バブル崩壊、そして現在に至るまでの日本の経済社会をおったもので、野口氏はその歴史の根底に戦中に作られた体制が脈々とひきつがれていると主張する。元々大蔵省官僚で、日本の経済を大きく動かしてきた面々と顔をつきあわせてきた野口氏の語り口には実感がこもっていて、説得力がある。また野口氏自身の個人史もところどころに挿入されることで、この手の本が陥りがちな、通り一遍な調子が払拭されているため、読みやすい。戦後経済史を別の面から見させてくれる一冊である。

「自分史」と重ね合わせた「1940年体制」の歴史

 当書は、著者の野口悠紀雄・早稲田大学教授が、大蔵官僚時代の体験等も重ね合わせつつ著述した戦後日本の経済の歴史であり、学術的な戦後経済史というよりも、著者の問題意識を背景としたエッセー風の読み物として目を通してもよいだろう。因みに、「戦後レジュームからの脱却」を“一枚看板”にしていた安倍晋三・前首相と、彼の尊敬する祖父・岸信介との「皮肉なめぐり合わせ」(本書)などに関しては、岸らの所為を描いた小林英夫『満州と自民党』(新潮新書)等が傍証になる。

 さて、上述の著者の問題意識(歴史認識)については、1995年に刊行された『1940年体制?さらば「戦時経済」』(東洋経済新報社)で詳説されており、その中で著者は「現在の日本経済を構成する主要な要素は、戦時期に作られた」(前掲書)と仮説する。それを「1940年体制」と名付け、この著作の主題である「日本の戦後経済は、戦時中に作られた経済体制の上に築かれた」(本書)とし、「ソ連や中国よりはるかに効率のよい社会主義経済ができあがった」(同)とする。

 具体的には、日本型労使慣行等に代表される企業統治、統制的な間接金融システム、中央官僚の思想的基盤、直接税中心の税体系、年金制度、都市・農村の土地制度などが「総力戦遂行のための1940年体制」(戦時総力戦体制)として確立され、これらが終戦(敗戦)を潜り抜け、あるいは看板を書き換え、断絶することなしに高度経済成長等で象徴される「戦後日本」の経済社会を構築し、世界でも稀に見る「平等社会」を実現した、と論断する。

 著者は「冷戦が終結したいま、日本はキューバと並んで、世界最後の社会主義国になっている」(同)とまで辛口を叩くのだが、この論判に対する読者の評価は微妙であろう。さらに、著者の「技術が経済制度を決める」という前提に立つとき、バブル崩壊で制度疲労気味の日本型「戦時経済体制」は、IT革命などによって変容する経済社会に適応障害を来しているかもしれない。しかし、小手先での弥縫策は難しいものの、「遺制」の全てを「市場」に捧げることも、これまた躊躇されよう。

戦後からバブル崩壊までを、、、この方は元大蔵官僚
辛口批評でおなじみの野口教授による、戦後からバブル崩壊までの日本経済史を振り返る好著。

野口教授は、もともと大蔵省ご勤務の官僚だったのですね。忘れてましたが。

だからというわけではないでしょうが、大蔵や日銀にかかる内情などが所々開示されていて、非常に興味深い。
戦後日本経済史 (新潮選書)

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人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)トーマス ギロビッチ湾岸戦争の水鳥が教える物--誰がカルト教団の信者を笑えるか?
 湾岸戦争(1991年)の時の事である。アメリカがイラク空爆を開始した直後、或る衝撃的な映像が、テレビを通じて、世界に流された。それは、原油にまみれた真っ黒な水鳥の映像であった。そして、その際、その映像に加えられた解説は、イラクが、ペルシャ湾に原油を放出した為に、ペルシャ湾が原油で汚染され、ペルシャ湾では、この様な深刻な環境汚染が発生して居ると言ふ衝撃的な物であった。
 この映像に、世界各国で、イラクに対する怒りの世論が湧き上がった。そして、一部の国では、「イラクに対して、戦術核兵器を使ふべきだ。」と言ふ声すら上がったのであった。--この「イラクに対する戦術核兵器使用の声が上がって居る。」と言ふニュースを聞いた時の衝撃は、今も忘れられない。
 ところが、それから間も無く、海流の速度などからして、その映像が撮影されたとされる場所で、報道が伝えた日に、「イラクが放出した原油」が海岸を汚染するとは、到底考えられない事が、指摘された。それから、テレビは、その水鳥の映像を伝えなくなり、更に後、湾岸戦争が終結して数ヶ月後、その海岸が原油で汚染された原因は、実は、何と、アメリカの空爆によって破壊された油井から原油が海に海に流れ出し、そこに流れ着いた為らしい事が、確認されたのであった。つまり、「イラクがペルシャ湾に原油を放出した」証拠は全く無く、それどころか、アメリカこそが、その水鳥を油まみれにした張本人だったらしい事が明らかに成ったのである。ところが、それにも関わらず、その映像が放送された直後には、世界中でイラクへの怒りが巻き起こり、一部では、イラクに対する戦術核兵器使用の声すら上がったのであった。--もし、あの時、あの水鳥の映像に関する解説がそのまま信じられ続けて居たら、一体、何が起きて居ただろうか?
 人は、騙されやすい。そして、騙されやすいが故に、「国際世論」すらもが、この様に、核兵器の使用にすら、容易に傾く事を、この水鳥の事例は語って居る。--人間は、どうして、これほどまで、騙され易いのだろうか?
 本書は、そうした人間の騙され易さを、様々な事例から分析した、アメリカの心理学者トーマス・ギロヴィッチ(Thomas Gilovich)の著作の日本語訳である。--心理学者である訳者(守一雄、守秀子、両氏)の日本語は、読みやすく、明確である。--本書を読むと、容易に騙され、踊らされるのは、カルト教団の信者ばかりではない事が、痛感される。この情報過多の現代社会で、人がどの様にして騙されるかを理解する為に、この名著が、多くの読者に読まれる事を切望する。
(西岡昌紀・内科医/オウム真理教信者による坂本弁護士一家事件から
 16年目の日に)

迷信・誤信はなぜ排除できないのかがわかります
誇大広告はなぜいまだになくならないのか。迷信、ジンクスと呼ばれるものが、先進国でも幅を利かせているのはなぜか。怪しげな民間信仰が現れるのはなぜか。超能力者が減らないのはなぜか。
これらの疑問は全て人間個々が生み出す「信念」による誤解の結果である、と筆者は説く。実験社会心理学・認知心理学の準教授を務める筆者の主張の展開は非常に示唆に富んでいて、興味深い。また、「こうであるかもしれない」というあいまいな(この「曖昧性」が筆者の攻撃目標の一つでもあるのだが)論理展開で話を進めていくこともないため、科学教養書として安心して読むことができる。
人間も動物である。進化の過程で、外界から全ての情報を得ようとし、それを元に推論を立てたり、その後の行動の予測につなげたりすることは実際的ではない。そのため、必要最小限の情報に基づいた判断(=信念)を確立し、それに則って行動を行う。その情報の取捨選択の中にこそ、「誤信」の生まれる余地があり、冒頭に述べたような、第三者的に冷静に見た場合、眉唾的なものに走ってしまうことになる、と筆者は述べている。
「ものを幅広く見て偏りを排除する」ことが大切だとよく言われる。しかし、本書を読むとなかなかそうしたことは現実には難しく、「誤信」がいかに生まれやすいものであるか、ということが良くわかる良著である。

日常での知性の働きを説く良書
迷信や誤信に引っかかるのは、人間の知性が拙いからではなく、実は極めて優れているからであるというい逆説的な事実が本書によって理解できると思います。事象が複雑に絡み合った世界の中で、因果や秩序を人間が如何に巧みに洞察するか、ということが「ヒューリスティクス」という概念によってわかりやすく説明されています。
生存のためには(とりわけ人間が進化した原環境である野生環境下では)物事の因果関係を見逃すことは即致命的なミスにつながることがあるので、因果の兆候を検知するとそれを確証する前に速やかに「実在する因果」として同定してしまうという(野生環境下では「正確さ」よりも「迅速さ」のほうがより重要になります)、いわば「生存知」とでも言うべき知性を人間は備えています。この知性は通常は極めて適切に「因果」を見出すのですが、それでも百発百中というわけにはいかず、実際には存在しない「因果」を存在すると誤認識することがあります。これがつまり迷信・誤信の由来なのですが、こうした迷信発生のメカニズムを身近な実例をもとに(例えばツキのような)丁寧に解説してくれています。
ロジカル・シンキングの入門書としての用も果たしているのではないか、と思います。本書の内容を理解すれば、「ルルドの泉」や「宝くじの当たる神社」、「地震雲」、あるいはテレビでよくある「性格テスト」のような迷信やインチキ実験のからくりを看破できるようになって、小気味よい気分を味わうことができるでしょう。
人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

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